2015年8月1日土曜日

『どらみんぐremix』ステートメント


 著作権(上演権)は誰のために発生するのか。そんな気軽な発想からSteve Reich ”Drumming”の楽譜を買ってみた。
現代に生きる我々は、秩序だった美、ある作家と演者の集団というヒエラルキーを前提とした美に対して警戒しなければならない。全体主義の美として利用され得るからだ。故に安易な感動も警戒したほうがいい。
しかし、それにしても荘厳で緻密で美しい曲だったと思う。
そこに対抗するために、「同調する全体」を基調とするのではなく、「少しずつズレた意見を持つ個々」がいかにしてコミュケーション可能か考えていくことにした。
その参考として”Phasing”という音楽テクニックを学び、実践している。それは音楽に留まらず、対話の技術としの可能性も同時に探っている。
音によるコミュケーションだけでなく、「話す」という、より直接的な手段を選ばざるを得ない局面だと思っているし、日常的に活用し得る発想になるからだ。
対話の中身は「戦争反対」(その反対は「中国は危ない」だろうか)でも何でもいい。同僚や隣人との日常会話で避けられているトピックであり、私たちが生きていく上で関わらざるを得ないタブーであれば何でも。
「同調」から「少しずつズレた意見」というものが、”Phasing”という技術と重なって見えている。


意見の決定的対立と、そこからこぼれ落ちた無数の沈黙が自分の周囲を漂っているように思う。ダメなものはダメ。それを否定する気はない。
しかし、決定的対立からこぼれ落ちた無数の沈黙に、いま光を当てなければ、それらは沈黙したまま「同調する全体」に回収されていくだろう。
それを拾い上げられるのは、なんだろうか。それを拾い上げられるのは、なんだろうか。文化の微かな力にだけ可能性を見いだしたいと今のところ思う。



なんてことを考えていた。
危うく騙されるところだった。
俺自身が騙されるところだった。

そのうち様々な「美談」が台頭する。その前に徹底的に、僕らが、どーしよーもないこと、ミジメなこと、弱いこと、なにもするべきことなんかないこと。について、徹底的に。差し出さなければならない。それでも生きて行かなくては行けないこと。死を選べないことを、差し出すことを、目撃してもらわなければならない。

ソレ、以外に、いま、舞台に立つ必然性などない。




※フェイジング(Phasing):二つ以上の楽器が、わずかに異なる拍子を刻みながら、徐々に一つのテンポから外れて行き、また戻っていくこと。Drumming譜面より>



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